西宮今津高校にある甲子園「ラッキーゾーン」のフェンス
放送メディア部の取材
兵庫県立西宮今津高校。
甲子園球場から距離にしておよそ1.3キロのところにあり、「甲子園に最も近い高校」として知られています。
中庭には、貴重なものが残されています。
先生「こちらが甲子園にあったラッキーゾーンになっています」
ラッキーゾーンとは、球場で外野柵の手前をフェンスで区切ったホームランゾーンのこと。
甲子園球場は、全国有数の広さを誇りホームランが出にくかったことから1947年に全国で初めて設けられました。
桑田・清原KKコンビが衝撃のデビューを果たしたのもラッキーゾーンがあった時代です。
その後、バットの品質が高まったことや甲子園と同じ規模の球場が増えたことなどの理由で1991年に撤去。
そのフェンスの一部が、甲子園歴史館では貴重な資料として展示されています。
数々のドラマを生み出した甲子園の遺構が学校の中に。
生徒たちに印象を聞いてみると。
生徒「全然知らなかったです。中庭の改修でこれだけ残ってるのを見てやっと気づいた。」
生徒 「いや知らなかったですね。」
生徒「草があってあんまり近づかない場所なのに」
と、あまり知られていない様子。
というのも、フェンスが目立つようになったのは中庭の改修が始まったことし3月から。
それまでは、緑をいかすデザインで木々になじんでいたようです。
映像見せているところ また、ラッキーゾーンが甲子園にあったこと自体、知らなかったという声も。
そんな中、フェンスに熱いまなざしを注ぐ生徒たちがいました。
放送メディア部のメンバーです。
放送メディア部の生徒
「中庭の工事が始まってから気づきました。」
「ただのフェンスみたいな感じと思っていたが結構すごいもの。」
「昔の阪神のすごい選手とかが練習中にここにもたれかかっていたのかと想像したらやっぱりすごい」
「ラッキーゾーンがここに来た理由とか在校生卒業生が知っていたかどうかを題材に扱いたい。」
放送メディア部は、来月大きな放送コンテストを控えています。
ドキュメンタリーとしてフェンスを取り上げることで、広く知ってもらいたいと考えました。
テーマは、西宮今津高校にフェンスがある理由です。
高校に残された記録によると、
フェンスがやって来たのは甲子園から撤去された1991年。
しかし、誰がどのような経緯でフェンスを手に入れたかは書かれていません。
放送部員たちは、先生への聞き込みや卒業アルバムなどをたどりフェンスを受け取ったのが当時の校長、桂廣保(かつら・ひろやす)さんであることを突き止めました。しかし、30年以上前のこと。連絡先は残っていません。
桂校長はいったい今どこにいるのか。
放送部が調べ上げたヒントをもとにサンテレビも徹底調査。
すると…
「桂さんの携帯でお間違いないでしょうか?」
桂さんは今、西宮で暮らしていることが分かりました。
こちらが、34年前にフェンスをもらい受けた桂廣保さんです。
もともとは体育教師で、全国高校野球連盟の理事にも就任。
1988年から4年間、西宮今津高校で校長として勤め上げました。
現在御年91歳。
生徒たちに正確な情報をと当時を知る人に連絡をとってメモにまとめていました。
1991年当時愛知県立春日井高校で校長をしていた大学時代の同級生より電話があった。
中部地方の新聞に甲子園のラッキーゾーンを取り外し希望者には提供するという記事があったので2つもらった。
きっかけは、大学の同級生だった愛知県立春日井西高校の校長から「フェンスをもらえないか」という
問い合わせがあったことだったといいます。
リヤカー引いて野球部にとって来いと1つは西宮今津高校に1つは春日井西高校にラッキーゾーンのフェンスは、春日井西高校にも残っています。
ここで生徒たちが最も知りたかった質問へ。
生徒「ラッキーゾーンをもらったときにどう思いましたか?」
桂さん「甲子園でいろいろなことを見てきたラッキーゾーンだからきっといろいろなことを教えてくれるだろうと」
フェンスをもらい受けた理由。
それは、様々なドラマを生み出したラッキーゾーンが、生徒たちの道しるべになれば。そんな願いからでした。
桂さん「あぁ懐かしいな…懐かしい 30年ぶりぐらいやな」
「実際にこんなに立派な大きなものやと思わなかった。野球選手がよじ登っても倒れないフェンスやったから。昔のことを記録に残そうというのはありがたい。今津高校にラッキーなことが起きるかもしれん。それを期待しています。」